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東京地方裁判所 平成7年(ワ)12241号 判決 1996年2月27日

本訴原告(反訴被告)

株式会社テクノス

ほか一名

本訴被告(反訴原告)

君島功徳

主文

一  本訴原告(反訴被告)らの本件訴えをいずれも却下する。

二  反訴原告(本訴被告)の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴ともに、これを一〇分し、その一を本訴原告(反訴被告)らの負担とし、その余は反訴原告(本訴被告)の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  本訴事件

1  本訴原告(反訴被告。以下本訴原告(反訴被告)株式会社テクノスを「原告会社」といい、本訴原告(反訴被告)山口聖浩を「原告山口」という。)らの反訴原告(本訴被告。以下「被告」という。)に対する後記第二、二、1の本件交通事故に基づく損害賠償債務は存在しないことを確認する。

2  訴訟費用の被告の負担

二  反訴事件

1  原告らは、被告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成七年六月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(一五〇〇万円の内金請求)。

2  訴訟費用の原告らの負担

第二事案の内容

一  本件は、交通事故に遭つて負傷した被告と、加害車両の運転者及びその使用者である原告らとの間で示談がなされ、これに基づき、示談金及び治療費等が支払われたところ、その後、被告には後遺症が再発しており、右示談は仮示談にすぎないとして、被告が示談の効力を争つたため、原告らが、被告に対し、示談の有効性を前提として、債務不存在の確認を請求し(本訴事件)、被告が原告らに対し、損害賠償を請求した(反訴事件)事案である。

二  争いのない事実

1  本件交通事故の発生

被告(昭和四四年五月三〇日生)は、次の事故(以下「本件事故」という。)により頸椎捻挫等の傷害を受け、平成六年七月二一日症状固定と診断された。

事故の日時 平成五年一〇月二〇日午前一時三五分ころ

事故の場所 神奈川県横浜市港北区日吉本町三丁目三一番先交差点路上(以下「本件交差点」という。)

加害者 原告山口(加害車両を運転)

加害車両 普通乗用自動車(川崎五六ら六〇八三)

被害者 被告(被害車両を運転)

被害車両 普通貨物自動車(横浜八八せ九二〇四)

事故の態様 本件交差点において、加害車両が赤信号を無視して、本件交差点に進入したため、折から交差道路を右方から青信号に従い、同交差点に進入した被害車両と衝突した。

2  責任原因

原告山口は、信号無視の過失により本件事故を引き起こしたものであるから、民法七〇九条に基づき被告に生じた損害を賠償すべき責任があり、原告会社は、原告山口の使用者であり、本件事故は、原告会社の事業の執行につき生じたものであるから、原告会社は、民法七一五条一項に基づき被告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

3  示談契約等

(一) 原告らは、平成六年八月二五日被告との間で次の内容の示談契約(以下「本件示談契約」という。)を締結した。

原告らは、被告に対し、既払金の他五五〇万円を支払う。

被告が本件示談契約後に木村病院で治療を受けたときは、示談時から一年分に限り、治療費を支払う。

(二) 原告らは、被告に対し、本件示談契約に基づき、五五〇万円及び木村病院の治療費二万三八八〇円(薬代一三〇〇円を含む。)を支払つた(合計五五二万三八八〇円)。

三  本件の争点

本件の争点は、被告の損害とくに後遺症再発の有無、本件示談契約の有効性(終局性)である。

1  被告の主張(反訴事件)

原告らと被告との間の本件示談契約は、あくまで仮示談にすぎないというべきところ、被告は、平成七年五月二二日ころから第三頸椎のずれ等により頭痛、手足のしびれ、不眠等の症状に悩まされており、これは後遺症が再発したものであり、本件示談賠償の対象外であるというべきであるから、被告は、本件において次の一五〇〇万円の損害のうち、一〇〇〇万円を請求する。

(一) 治療費 三〇〇万〇〇〇〇円

被告は、後遺症発症当時、二六歳の男子であり、今後六五歳までの三九年間にわたり、年間一四万四〇〇〇円の治療費の支出が予想されるから、右金額を基礎とし、三九年間の治療費の現価をホフマン係数等を加味して算定。

(二) 逸失利益 五〇〇万〇〇〇〇円

被告は、右後遺障害により労働能力の五〇パーセントを喪失したものであり、年収三六〇万円を基礎とし、三九年間の逸失利益の現価をホフマン係数等を加味して算定。

(三) 慰謝料 七〇〇万〇〇〇〇円

被告の慰謝料は、年間三〇万円であり、右金額を基礎とし、三九年間の慰謝料の現価をホフマン係数等を加味して算定。

2  原告らの主張(本訴事件)

被告に支払われた示談金は、本件示談契約締結時点において判明していた被告の損害を基礎として、後遺症の残存期間を含めて被告に相当有利に算定されたものであるうえ、右契約締結に当たつては、金子則彦医師作成の平成六年八月一〇日付け後遺障害診断書記載の症状を前提としており、被告主張の後遺障害による損害もその対象に含まれていた。そもそも、被告が後遺症の再発を訴えた時期、症状、通院状況等からして、被告の後遺症の再発自体に疑問がある。

被告は、右のように残債務は存在しないのにもかかわらず、本件示談契約の終局性を争い、さらに原告らに対し、損害賠償を請求しているから、本訴請求についての確認の利益がある。

3  原告ら補助参加人の主張

本件示談契約締結時において、原告ら及び被告から仮示談という話は全くなされていないうえ、本件示談契約は、双方とも今後一切の債権債務がないことを相互に確認してなされたものであるから、仮示談ではなく、本示談である。

第三争点に対する判断

一(一)  被告の治療経過等について

前記争いのない事実に、甲二ないし一四、一七ないし二三、乙一、三ないし六、被告本人、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は、受傷日の平成五年一〇月二〇日菊名記念病院において時間外診療を受け、初診時、胸部、下顎部、右手、左足の疼痛等を訴え、右手に腫張、擦過傷がみられたが、左下腿のX線上明らかな骨折はなく、消炎鎮痛剤と外用薬の投与を受けた。なお、頸部X線検査は受けていない。

同月二一日整形外科を受診し、被告の歩行は安定しており、右母指の疼痛、右頭痛を訴えたが、X線上手根中手骨間関節、舟状骨に異常はなく、消炎鎮痛剤、抗潰瘍剤、湿布等の投与を受けた。

同月二七日創傷は乾燥しており、消炎鎮痛剤の投与を受けた。

同年一一月四日右母指の疼痛と頸部の重苦しさを訴え、湿布、包帯、内服薬の投与を受けて軽快し、同日中止となつた(通院実日数四日)。

菊名記念病院における被告の傷病名は、右手、左下腿、下顎、胸部打撲、右手擦過傷、頸椎捻挫であつた。

(2) 被告は、平成五年一二月一日金子整形外科・脳神経外科クリニツク(以下「金子整形外科」という。)を受診し、頸部痛、胸痛を訴え、頸椎捻挫、胸部、右母指挫傷の診断を受け、頸椎及び肋骨のX線検査のほか、筋弛緩剤、消炎鎮痛剤等の内服薬と外用薬の投与等を受けた。

被告は、同年一二月及び平成六年一月中に金子整形外科を各七回受診し、その間、頸部痛の持続、頭重感等を訴え、運動療法と投薬を受け、MRI検査を二回受検し(頸椎につき平成六年一二月一三日、頭部につき平成七年一月二四日)、肩甲上神経ブロツクの施術を受けた(同年一月一七日)。

その後、被告は、平成六年五月二一日及び同月三〇日同病院に通院し、同月三〇日には右中指のけいれんを訴え、それぞれ運動療法、投薬、肩甲上神経ブロツクの治療を受けた。

さらに、被告は、同年七月一五日に運動療法を受け、同月二一日に頸部痛として圧痛、叩打痛のほか、頭痛を訴え、運動療法を受けた(通院実日数一八日)。

金子整形外科の医師金子則彦作成の平成六年八月一〇日付け後遺障害診断書(甲一〇)には、傷病名として頸椎捻挫、胸部、右母指挫傷、自覚症状として頸背部痛、筋緊張感、熱感、倦怠感、他覚症状及び検査結果として筋硬結+、筋力低下軽度、筋萎縮-、運動障害として軽度制限される、緩解の見通しとして次第に軽減される可能性はある、との記載がある。

(3) 被告は、平成六年八月一六日木村病院を受診した際、医師に対し、金子整形外科において、平成五年一二月ころ、MRIを撮り頸推がずれていると言われた、現在の症状は首の動きが制限され、ときどき右手のけいれんと後頭部の熱感があり、これらの症状は昨年一二月から変わらないと述べ、同日六方向のX線検査を受けた。木村病院における被告の傷病名は、頸椎捻挫であつた。

被告は、同年八月一八日の木村病院の受診時、八月一六日撮影のレントゲン上、第六、第七頸椎間石灰化が認められ、頸部痛と上肢のしびれ、頸部の熱感を訴えた。

被告は、同年八月二五日の受診時、右中指のしびれと頸部痛、胸部痛を訴え、頸部の運動制限は前後屈、左右屈いずれも+であつたが、反射及び知覚は正常であり、握力は右三八キログラム、左四六キログラムであつた。

被告のMRI上、頸椎第四、第五間に軽度の脊髄圧迫があるが、軸位像にて神経根の非対称は画像が不明瞭とされている。

被告は、同年九月二二日の受診時、頸部痛を訴え、関節可動域として前後屈及び側屈が制限されたが、反射は正常であり、握力は右四二キログラム、左四〇キログラムであつた。被告は、同日鎮痛剤等二週間分の投薬と理学療法を受けた(実治療日数三日)。

その後、被告は、平成七年五月二五日木村病院を受診し、その際、医師に対し、様子をみていた、ここ一、二か月頭痛、首のだるさ、手のしびれ、悪心があり、現在も頸部の重苦しさ、不眠があると訴えたが、指の運動と知覚、反射は正常であり、頸椎の四方向のX線検査と投薬治療が行われた。

同日のカルテ(甲一九)には、昨年九月に一回のみしかリハビリせず、しつかり通院加療しないで八か月放置していたのは本人の方が悪い、きちつと治療して症状があるならわかるが、こんなに間をあけては事故のせいは言えなくなると説明、本人も納得との記載がある。

(4) 被告は、平成七年五月一三日階段を踏み外し、同月三〇日再び金子整形外科を受診し、その際、頸部痛、筋緊張感、右手のしびれ、けいれんを訴え、足関節固定術とともに投薬、理学療法を受けた。右再診時の被告の傷病名は、頸椎椎間板症、右足関節捻挫であつた。

その後、被告は、同年六月六日、同月八日、同年七月五日、同月一二日、同月一七日、同月二五日、同年八月二二日、同年九月一六日、同月二二日に金子整形外科を各受診し(通院実日数一〇日)、主として理学療法と投薬を受けており、また、同年七月一二日(両手と背中のしびれ)及び同月二五日(両手のしびれ、特に小指側)に痛み等を訴えている。

金子則彦医師作成の平成七年六月六日付け診断書(丙一)及び同年九月二六日付け意見書(乙三)及び同年には、平成七年一月ころ頭痛、めまい、手足のしびれ、睡眠不良等を訴え再来院、原因は、第四、第五頸椎間の椎間板変性による後遺障害の蓋然性がかなり高いと認められる、上記症状の回復はかなり長期間を要する、との記載がある。

(5) 被告は、本人尋問において、平成五年一二月に金子整形外科を受診し、しばらく症状は鎮静化していたが、平成六年一二月か平成七年一月ころ、再び頭痛、めまい、手足のしびれ、睡眠不良等の症状が現れたため、金子整形外科に通院するようになり、現在も右の症状が続いている、本件事故当時は、配送の仕事をしていたが、現在は自動車の運転ができず、事務の仕事をしているため、収入が減少した、症状固定時の自覚症状等と現在の症状とは同じであるが、強弱があり、以前より強くなつている、金子医師からはまず治らないだろうと言われたと述べている。

(二)  右の認定事実をもとに被告の後遺症再発の有無について検討する。

(1) まず、被告の第三頸椎にずれがあると主張する点については、これを認めるに足りる証拠がない。

仮に、これを被告の頸椎第四、第五椎間板にずれがあると主張するものであり、さらに頸椎第四、第五椎間板変性の意味と理解しても、金子整形外科におけるカルテや後遺障害診断書には、その旨の記載は全くなく、乙三、四の右記載は唐突な印象を受けることを禁じ得ないうえ(他の病院のカルテと比較しても客観性に乏しい)、乙三、四の記載を前提とすれば、第四、第五頸椎椎間板変性は、症状固定時すでに存在していたものというべきところ、本件において、その後に被告の身体に器質的変化等が生じたことを認めるに足りる証拠はなく、また、被告が症状固定時に訴えていた症状と現在の症状とを比較しても、その間に特段の質的変化は認められず、単に強弱の波があるだけであり、これに前認定の被告の通院状況、治療経過及び被告の後遺症が再発したとする時期(被告が平成七年一月ころ金子整形外科その他の医療機関を受診したことを認めるに足りる証拠はなく、同時期を後遺症の再発時期とする客観的根拠は見出せない。)等を考え併せると、被告に後遺症が再発したことを認めることはできず、他に右認定に反する証拠はない。

二  本件示談契約の有効性(終局性)について

(一)  本件示談契約の締結経過について

甲一〇、一一、乙二、丙一、被告本人、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

本件交通事故に関して、原告らと被告との間の交渉は、原告らの任意保険会社である原告ら補助参加人神奈川第一サービスセンターを中心に行われていたものであり、同サービスセンターに対しては、被告の父君島徳昭(以下「徳昭」という。)からかねて高額の賠償の要求がなされていたところ、同社関東損害調査部部長中村栓(以下「中村」という。)は、平成六年七月二八日同サービスセンターの古川一夫(以下「古川」という。)とともに被告及び徳昭と面談し、その後、同年八月二五日再び、被告、徳昭と四人で面談し、示談交渉を行つた。その席上、徳昭は、中村らに対し、被告の後遺障害診断書(甲一一)とMRI写真を示した。

中村は、対人賠償計算額五二五万円を提示し、条件面として後遺障害事前認定を行わなかつた点を考慮し、被告の身体の不安解消を目的とするため、木村病院での一年間の通院治療を行うよう申し入れた。その際、徳昭からは金額の上乗せの話があつたが、最終的に金額は五五〇万円とされ、免責証書(甲一〇)に右条件が記入された。

右示談交渉の席上、被告に新たに後遺症が現れた場合の話が出たが、そのときは別途協議することになつた。

被告は、同日印鑑を所持していなかつたため、内容確認のうえ同社に郵送することになり、同年八月三〇日ころ補助参加人に免責証書が郵送された。

八月二五日の右示談交渉の際、仮示談という話は双方から出されたことはなかつた。

(二)  被告は、本件示談契約を仮示談であり、終局的でないと主張し、その理由として、<1>本示談であれば、加害者たる原告らが出席し、謝罪等してしかるべきところ、本件示談に原告らが出席していなかつた、<2>示談交渉担当者が被告に対し、後遺症が再発した場合は示談をやり直すと述べた、<3>示談書の書式が簡易示談用のものであつた等というが、<1>については、本示談の要件として、加害者の出席が不可欠の要素となるものではなく、<2>については、被告は単に後遺症が再発した場合になすべき別途協議の問題と示談の終局性とを混同しているものと解せられ、<3>については、甲一〇の体裁(表題部に「免責証書<対人用>」と記載されている)と明らかに反しており、いずれも十分な理由がない。

そして、前認定事実に甲一〇の契約文言、示談金額(弁論の全趣旨によれば、後遺症等級一四級相当の後遺障害が症状固定後一〇年間残存することを前提として算定されたものと認められる。)、契約締結時期(甲一〇の存在を前提としている)等に照らし、本件示談契約の終局性を疑わせるべき事情はなく、他に本件示談契約が仮示談であることを窺わせるに足りる証拠はない(乙二の記載中にはむしろ被告の方から双方とも今後一切争わないように話し合いで解決したいという意向があつたことが窺われる。)。

なお、示談成立後、当時予想できなかつた後遺症が生じた場合、被害者は改めてその損害の賠償を請求することができるが、本件においては、前認定のとおり、被告に右のような後遺症が再発したものと認めるに足りないから、これを前提とする被告の主張も理由がない。

三  確認の利益について

本訴請求と反訴請求とは、訴訟物たる権利関係が同一であり、被告から原告らに対する給付請求たる反訴請求について実体判断をなす以上、さらに消極的確認請求たる本訴請求について判断することが、紛争のより有効的かつ抜本的解決になるとはいえないから、本訴請求については、確認の利益を欠くというべきである。

第四結語

以上によれば、原告らの本件訴え(本訴請求)は、いずれも不適法であるから却下し、被告の反訴請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 河田泰常)

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